坂の上の雲 司馬遼太郎 文春文庫
□マイブックミシュラン(星最大5つ)
読みやすい ☆☆
心にひびく ☆☆☆☆
発見がある ☆☆☆☆☆
ビジネス書 ☆☆☆☆
人生ヒント ☆☆☆☆
□しおり
真之はそうおもうのである。(文明の段階々々で、ぴったりその段階に適(あ)った民族というのが、その歴史時代を担当するのではないか) [第二巻:P237]
□ブログ管理者評
読み終わった後、じりじりとした熱いものが体に感じられた。燃え尽きようとしている石炭のかけらがが脳の底にひとつ、胸の底にひとつ、腹の底にひとつ・・・と取り残されたような具合だ。明治維新から手探りで西欧の帝国文明という石炭をスコップであるいは素手で日本の土地に積み移していった当時の人たち。その熱が火照り続けている。世界の列強、その最も押し迫ったロシアに対し、日本は民族の存続を賭けて戦いを挑まざるを得なかった。
話が唐突になるが、僕は学校の教科の歴史が苦手だった。単なる暗記ものとして敬遠していた。しかし歴史に登場する人物には少なからず興味はあった。人が人を学ぶ上で当然のことだろう。そろそろ歴史教育も暗記ものから脱する時ではないかと思う。そういう意味でも僕は歴史小説を教材に取り入れるべきだと提言する。
司馬氏の本作品はまさにうってつけだろう。完成までに取材を含め約10年の歳月を費やし、小説といいながらもほとんど事実に則している。これは氏のあとがきでも書かれているが、つまりはそのまま教科書に使っても成立するのである。
日本人として日清戦争や日露戦争のことを知らずにいていいのだろうか、と煮え切らない思いで僕は学生時代を過ごしてしまった。しかし本作品を読み、長年の塵が払われた気がした。日本人として知るべきものを知った。本作品を読まなければ一生知らずにいたかもしれないことを思うと有り難さを感じずにはいられない。
愛媛県松山に生まれた秋山好古・真之を中心に据えつつ話しは展開していくが、当時の軍隊(今も!?)の指揮系統から見える良面と悪弊は、およそ現代の会社などの組織に通じている。評が思いもよらず長くなってしまった。歴史小説でもあり歴史教育でもあり、ひいてはビジネス書としても通じるものが、この作品には詰まっているのである。
□内容紹介
(一)
明治維新をとげ、近代国家の仲間入りをした日本は、息をせき切って先進国に追いつこうとしていた。この時期を生きた四国松山出身の三人の男達・・・日露戦争のおいてコサック騎兵を破った秋山好古(あきやま・よしふる)、日本海海戦の参謀秋山真之(あきやま・さねゆき)兄弟と文学の世界に巨大な足跡を遺した正岡子規を中心に、昂揚の時代・明治の群像を描く長編小説全八冊。
(二)
戦争が勃発した・・・・。世界を吹き荒れる帝国主義の嵐は、維新からわずか二十数年の小国を根底からゆすぶり、日本は朝鮮をめぐって大国「清」と交戦状態に突入する。陸軍少佐秋山好古は騎兵を率い、海軍少尉真之も洋上に出撃した。一方正岡子規は胸を病みながらも近代短歌・俳句を確立しようと、旧弊な勢力jとの対決を決意する。
(三)
日清戦争から十年・・・じりじりと南下する巨大な軍事国家ロシアの脅威に、日本は恐れおののいた。 「戦争はありえない。なぜならば私が欲しないから」とロシア皇帝ニコライ二世はいった。しかし、両国の激突はもはや避けえない。病の床で数々の偉業をなしとげた正岡子規は戦争の足音を聞きつつもえつきるようにして、逝った。
(四)
強靭な旅順要塞に攻撃を担当した第三軍は、鉄壁を正面から攻めておびただしい血を流しつづけけた。一方、ロシアの大艦隊が、東洋に向かってヨーロッパを発航した。これが日本近海に姿を現せば、いま旅順港深く息をひそめている敵艦隊も再び勢いをえるだろう。それはこの国の滅亡を意味する。が、要塞は依然えとして陥おちない。
(五)
強靭な旅順要塞の攻撃を担当した第三軍は、鉄壁を正面から攻めておびただしい血を流つづけた。一方、ロシアの大艦隊が、東洋に向かってヨーロッパを発航した。これが日本近海に姿を現せば、いま旅順港深く息をひそめている敵艦隊も再び勢いを得るだろう。
それはこの国の滅亡を意味する。が要塞は依然としておちない。
(六)
作戦の転換が効を奏して、旅順は陥落した。だが兵力の消耗は日々深刻であった。北で警鐘が鳴る。満州の野でかろうじて持ちこたえ冬ごもりをしている日本軍に対し、凍てつく大地を轟かせ、ロシアの攻勢が始まった。左翼を守備する秋山好古支援隊に巨大な圧力がのしかかった。やせ細った防御陣地は蹂躙され、壊滅の危機が迫った。
(七)
各地に会戦できわどい勝利を得はしたものの、日本の戦闘能力は目にみえて衰えていった。補充すべき兵は底をついている。そのとぼしい兵力をかき集めて、ロシア軍が腰をすえる奉天を包囲撃滅しようと、日本軍は捨て身の大攻勢に転じた。だが、果然、逆襲されて日本軍は処々で寸断され、時には敗走するという苦境に陥った。
(八)
本日天気晴朗ナレドモ浪高シ・・・明治38年5月27日早朝、日本海の濛気の中にロシア帝国の威信をかけたバルチック大艦隊がついにその姿を現した。国家の命運を背負って戦艦三笠を先頭に迎撃に向かう連合艦隊。大海戦の火蓋が今切られようとしている。感動の完結篇。解説・島田謹二
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□作者プロフィール
司馬遼太郎(シバリョウタロウ)
大賞12(1923)年、大阪市に生れる。大阪外語学校蒙古語科卒業。昭和35年、『梟の城』で第42回直木賞受賞。41年、『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞受賞。47年、『世に棲む日日』を中心にした作家活動で吉川英治文学賞受賞。56年、日本芸術院会員。57年、『ひとびとの跫音』で読売文学賞受賞。58年、『歴史小説の革新』についての功績で朝日賞受賞。59年、『街道をゆく"南蛮のみちI"』で日本文学大賞受賞。62年、『ロシアについて』で読売文学賞受賞。63年、『韃靼疾風録』で大佛次郎賞受賞。平成3年、文化功労者。平成5年、文化勲章受賞。著書に『司馬遼太郎全集』『司馬遼太郎対話集』(文藝春秋)ほか多数がある。平成8(1996)年没。
□マイブックミシュラン(星最大5つ)
読みやすい ☆☆
心にひびく ☆☆☆☆
発見がある ☆☆☆☆☆
ビジネス書 ☆☆☆☆
人生ヒント ☆☆☆☆
□しおり
真之はそうおもうのである。(文明の段階々々で、ぴったりその段階に適(あ)った民族というのが、その歴史時代を担当するのではないか) [第二巻:P237]
□ブログ管理者評
読み終わった後、じりじりとした熱いものが体に感じられた。燃え尽きようとしている石炭のかけらがが脳の底にひとつ、胸の底にひとつ、腹の底にひとつ・・・と取り残されたような具合だ。明治維新から手探りで西欧の帝国文明という石炭をスコップであるいは素手で日本の土地に積み移していった当時の人たち。その熱が火照り続けている。世界の列強、その最も押し迫ったロシアに対し、日本は民族の存続を賭けて戦いを挑まざるを得なかった。
話が唐突になるが、僕は学校の教科の歴史が苦手だった。単なる暗記ものとして敬遠していた。しかし歴史に登場する人物には少なからず興味はあった。人が人を学ぶ上で当然のことだろう。そろそろ歴史教育も暗記ものから脱する時ではないかと思う。そういう意味でも僕は歴史小説を教材に取り入れるべきだと提言する。
司馬氏の本作品はまさにうってつけだろう。完成までに取材を含め約10年の歳月を費やし、小説といいながらもほとんど事実に則している。これは氏のあとがきでも書かれているが、つまりはそのまま教科書に使っても成立するのである。
日本人として日清戦争や日露戦争のことを知らずにいていいのだろうか、と煮え切らない思いで僕は学生時代を過ごしてしまった。しかし本作品を読み、長年の塵が払われた気がした。日本人として知るべきものを知った。本作品を読まなければ一生知らずにいたかもしれないことを思うと有り難さを感じずにはいられない。
愛媛県松山に生まれた秋山好古・真之を中心に据えつつ話しは展開していくが、当時の軍隊(今も!?)の指揮系統から見える良面と悪弊は、およそ現代の会社などの組織に通じている。評が思いもよらず長くなってしまった。歴史小説でもあり歴史教育でもあり、ひいてはビジネス書としても通じるものが、この作品には詰まっているのである。
□内容紹介
(一)
明治維新をとげ、近代国家の仲間入りをした日本は、息をせき切って先進国に追いつこうとしていた。この時期を生きた四国松山出身の三人の男達・・・日露戦争のおいてコサック騎兵を破った秋山好古(あきやま・よしふる)、日本海海戦の参謀秋山真之(あきやま・さねゆき)兄弟と文学の世界に巨大な足跡を遺した正岡子規を中心に、昂揚の時代・明治の群像を描く長編小説全八冊。
(二)
戦争が勃発した・・・・。世界を吹き荒れる帝国主義の嵐は、維新からわずか二十数年の小国を根底からゆすぶり、日本は朝鮮をめぐって大国「清」と交戦状態に突入する。陸軍少佐秋山好古は騎兵を率い、海軍少尉真之も洋上に出撃した。一方正岡子規は胸を病みながらも近代短歌・俳句を確立しようと、旧弊な勢力jとの対決を決意する。
(三)
日清戦争から十年・・・じりじりと南下する巨大な軍事国家ロシアの脅威に、日本は恐れおののいた。 「戦争はありえない。なぜならば私が欲しないから」とロシア皇帝ニコライ二世はいった。しかし、両国の激突はもはや避けえない。病の床で数々の偉業をなしとげた正岡子規は戦争の足音を聞きつつもえつきるようにして、逝った。
(四)
強靭な旅順要塞に攻撃を担当した第三軍は、鉄壁を正面から攻めておびただしい血を流しつづけけた。一方、ロシアの大艦隊が、東洋に向かってヨーロッパを発航した。これが日本近海に姿を現せば、いま旅順港深く息をひそめている敵艦隊も再び勢いをえるだろう。それはこの国の滅亡を意味する。が、要塞は依然えとして陥おちない。
(五)
強靭な旅順要塞の攻撃を担当した第三軍は、鉄壁を正面から攻めておびただしい血を流つづけた。一方、ロシアの大艦隊が、東洋に向かってヨーロッパを発航した。これが日本近海に姿を現せば、いま旅順港深く息をひそめている敵艦隊も再び勢いを得るだろう。
それはこの国の滅亡を意味する。が要塞は依然としておちない。
(六)
作戦の転換が効を奏して、旅順は陥落した。だが兵力の消耗は日々深刻であった。北で警鐘が鳴る。満州の野でかろうじて持ちこたえ冬ごもりをしている日本軍に対し、凍てつく大地を轟かせ、ロシアの攻勢が始まった。左翼を守備する秋山好古支援隊に巨大な圧力がのしかかった。やせ細った防御陣地は蹂躙され、壊滅の危機が迫った。
(七)
各地に会戦できわどい勝利を得はしたものの、日本の戦闘能力は目にみえて衰えていった。補充すべき兵は底をついている。そのとぼしい兵力をかき集めて、ロシア軍が腰をすえる奉天を包囲撃滅しようと、日本軍は捨て身の大攻勢に転じた。だが、果然、逆襲されて日本軍は処々で寸断され、時には敗走するという苦境に陥った。
(八)
本日天気晴朗ナレドモ浪高シ・・・明治38年5月27日早朝、日本海の濛気の中にロシア帝国の威信をかけたバルチック大艦隊がついにその姿を現した。国家の命運を背負って戦艦三笠を先頭に迎撃に向かう連合艦隊。大海戦の火蓋が今切られようとしている。感動の完結篇。解説・島田謹二
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□作者プロフィール
司馬遼太郎(シバリョウタロウ)
大賞12(1923)年、大阪市に生れる。大阪外語学校蒙古語科卒業。昭和35年、『梟の城』で第42回直木賞受賞。41年、『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞受賞。47年、『世に棲む日日』を中心にした作家活動で吉川英治文学賞受賞。56年、日本芸術院会員。57年、『ひとびとの跫音』で読売文学賞受賞。58年、『歴史小説の革新』についての功績で朝日賞受賞。59年、『街道をゆく"南蛮のみちI"』で日本文学大賞受賞。62年、『ロシアについて』で読売文学賞受賞。63年、『韃靼疾風録』で大佛次郎賞受賞。平成3年、文化功労者。平成5年、文化勲章受賞。著書に『司馬遼太郎全集』『司馬遼太郎対話集』(文藝春秋)ほか多数がある。平成8(1996)年没。
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