馬上少年過ぐ 司馬遼太郎 新潮文庫

馬上少年過ぐ 司馬遼太郎 新潮文庫


□マイブックミシュラン(星最大5つ)

読みやすい ☆☆☆
心にひびく ☆☆
発見がある ☆☆☆
ビジネス書 ☆
人生ヒント ☆☆







□しおり

長岡藩の河井継之助(つぎのすけ)の台詞、「学問とは自分の実践力を拡大するものであるべきだ」[英雄児P12]

「恐れ入れ」というのが、判決であった。平伏するだけでよいのである。「恐れ入る理由がないから恐れ入らぬ」と、覚野か佐々木に食ってかかるかわりに奉行に食ってかかった。[慶応長崎事件P107]

草雲は、自分と武蔵とのちがいをまざまざと知った。武蔵は天性、巨大な気魂をもって生まれてき、その気魂が剣となり、絵となった。草雲の場合は、気魂は気魂、画技は画技、武術は武術で、三者ばらばらの他人であった。[喧嘩草雲P134]

わしは、そのほうにくらべればはるかに物の経験が深い。しかしこの時節となれば多少の経験はわいを臆病にすることに役立つのみで、当家の活力をふやすためにはなんの役にも立たぬ。必要なのは、ものしらずな和殿(政宗)の若さだとおもうた。輝宗は、そういった。[馬上少年過ぐP176]

「伊達」といえば、仙台の伊達家というのがあまりにも高名で、宇和島にその分家があるとはあまり知られていない。[重庵の転々P205]

(どちらも厭) と、みもふたもないむなしさの穴におちこんだりする。自分ほどの女が、せっかくの鍋売りの稼ぎもすてて人の女房になりはてるというについては、万も松も、その両方とも、 ───片腹いたい。 ともおもった。[城の怪P264]

悪右衛門ほいう。人が欲するのは富貴であり、それを望んで身をおこすべく努めるのだが、しかし不幸なことに富も名誉も自分にはうまれながらにしてあった。[貂の皮P298]








□内容紹介

戦国の争乱期に遅れて僻遠の地に生れたが故に、奥羽の梟雄としての位置にとどまらざるをえなかった伊達政宗の生涯を描いた『馬上少年過ぐ』。英国水兵殺害事件にまきこまれた海援隊士の処置をめぐって、あわただしい動きを示す坂本竜馬、幕閣、英国公使らを通して、幕末の時代像の一断面を浮彫りにした『慶応長崎事件』。ほかに『英雄児』『喧嘩草雲』『重庵の転々』など全7編を収録する。


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□作者プロフィール

司馬遼太郎(シバリョウタロウ)
1923-1996。大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた’60(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を一新する話題作を続々と発表。'66年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞を受賞したのを始め、数々の賞を受賞。'93年には文化勲章を受章。“司馬史観”とよばれる自在で明晰な歴史の見方が絶大な信頼をあつめるなか、'71年開始の『街道をゆく』などの連載半ばにして急逝。享年72。『司馬遼太郎全集』(全50巻)がある。







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